会津の伝統・会津絵ろうそくをご紹介

皆さんこんにちは!早くも2月、会津は今日は珍しく太陽がうらうらと照っておりますが、気温は最低は氷点をゆうに下回り、気温は決してのどかでない模様となっております。
先週の金曜日は間違いなく今回の冬季一番の荒れたお天気でした😱風が強く路面は凍結、雪は止むことなく視界は地から風によって舞いげられた雪と天から吹き荒れる雪とで真っ白という有様でした。

近々「絵ろうそくまつり」が開催されますが、そもそも絵ろうそくとは?という方もいらっしゃるかもしれません。思えば教育旅行生の体験としても最早定番なのですが、紹介したことは有りませんでした。それでは紹介いたしましょうと、考えたのが今日の記事です。

「会津絵ろうそく」は、画像の通り白色の和ろうそくに花などの絵が描かれた蝋燭のことを言います。会津だけでなく、京都や新潟といった地域でも作られているようです。それぞれ絵柄に特徴があって、違いを見比べるのも楽しいです。
蝋燭の歴史は遥かに深く、人類の生活と密接にかかわってきました。日本へは中国から伝わり、国内で本格的に作られ始めたのは室町時代と言われております。当時は大変高価で、宮廷や一部の寺院でのみ使われていたそうです。また、世界全体で宗教的意味合いが強く、儀式には欠かせず、教会内で養蜂をを行い原材料を採集することも行われました。

そんな貴重な蝋燭づくりの文化が会津で生まれたのは今から600年ほど前。蘆名時代に当時の領主により漆木が多く植樹され、樹液は漆器に、実からは蝋燭がつくられるようになりました。そして会津の蝋燭は瞬く間に名をあげ、あの織田信長公に献上されるほどになりました。そのころまでは普通の和ろうそくで、絵付けがされていたわけではありません。絵付けがされるようになったのは、時代が下り会津領主が蒲生氏郷公になった頃、会津の商工業発展の一環として数々の職人を公は地元から呼び寄せましたが、その中に蝋職人もいました。
会津のろうそくの品質はさらに向上し、絵付けがなされるようになったのです。色とりどりの花が描かれた会津絵ろうそくは、江戸を始めとした諸大名たちに高く評価され、盛んに取引がされました。

しかし、そんな栄華を極めた絵ろうそくは、明治以降のガス灯や電気の時代の到来により徐々に減少していきました。会津は戊辰戦争の戦乱で店舗は激減し、このまま根絶するかと思われましたが、ある人に見直され、また絵ろうそく祭として一年に一度盛り上げることで奇跡の復活を遂げ、また多くの人に知られるようになりました。

会津絵ろうそくはそういった過程を経て、原材料である木の減少など全く課題がなくなったわけではないですが、今もなお大切に残されています。絵ろうそくの絵付け体験は、教育旅行生にもとても人気があります。絵ろうそくは一大祭りとして名が知れていて、中でも鶴ヶ城敷地内を照らす幾千の絵ろうそくの輝きは圧巻です。
蝋燭の歴史一つをとっても、ここでは語りきれないほど、人類と蝋燭には深い関わりがあります。もしかしたら、知らないだけで皆さんの地域にもそんな逸話が存在するかもしれません。
会津絵ろうそくのお店は数店舗存在しますが、同じ伝統絵柄の植物でも描き方にそれぞれのお店らしさがあるので、是非あなただけのお気に入りの一本を見つけてくださいね。